再評価
めくらぶどうとにじ しろあとのおおばこのみはむすび、あかつめくさのはなはかれてこげちゃいろになり、はたけのあわはかられました。 「かられたぞ。」 といいながらいっぺんちょっとかおをだしたのねずみがまたいそいであなへひっこみました。 がけやほりには、まばゆいぎんのすすきのほが、いちめんかぜになみだっています。 そのしろあとのまんなかに、ちいさなしっかくやまがあって、うえのやぶには、めくらぶどうのみが、にじのようにうれていました。 さて、かすかなかすかなひでりあめがふりましたので、くさはきらきらひかり、むこうのやまはくらくなりました。 そのかすかなかすかなひでりあめがはれましたので、くさはきらきらひかり、むこうのやまはあかるくなって、たいへんまぶしそうにわらっています。 そっちのほうから、もずが、まるでおんぷをばらばらにしてふりまいたようにとんできて、みんないちどに、ぎんのすすきのほにとまりました。 めくらぶどうはかんげきして、すきとおったふかいいきをつきはからしずくをぽたぽたこぼしました。 ひがしのはいいろのさんみゃくのうえを、つめたいかぜがふっととおって、おおきなにじが、あかるいゆめのはしのようにやさしくそらにあらわれました。 そこでめくらぶどうのあおじろいじゅえきは、はげしくはげしくなみうちました。 そうです。 きょうこそ、ただのひとことでも、にじとことばをかわしたい、おかのうえのちいさなめくらぶどうのきが、よるのそらにもえるあおいほのおよりも、もっとつよい、もっとかなしいおもいを、はるかのうつくしいにじにささげると、ただこれだけをつたえたい、ああ、それからならば、それからならば、みやはがかぜにちぎられて、あのあかるいつめたいまっしろのふゆのねむりにはいっても、あるいはそのままかれてしまってもいいのでした。 「にじさん。 どうか、ちょっとこっちをみてください。」 めくらぶどうは、ふだんのすきとおるこえもどこかへいって、しわがれたこえをかぜにはんぶんとられながらさけびました。 やさしいにじは、うっとりにしのあおいそらをながめていたおおきなあおいひとみを、めくらぶどうにむけました。 「なにかごようでいらっしゃいますか。 あなたはめくらぶどうさんでしょう。」 めくらぶどうは、まるでぶなのきのはのようにぷりぷりふるえて、かがやいて、いきがせわしくておもうようにものがいえませんでした。 「どうかわたしのうやまいをうけてとってください。」 にじはおおきくといきをつきましたので、きやすみれはひとつずつこえをあげるようにかがやきました。 そしていいました。 「うやまいをうけることは、あなたもおなじです。 なぜそんないんきなかおをなさるのですか。」 「わたしはもうしんでもいいのです。」 「どうしてそんなことを、おっしゃるのです。 あなたはまだおわかいではありませんか。 それにゆきがふるまでには、まだにかげつあるではありませんか。」 「いいえ。 わたしのいのちなんか、なんでもないんです。 あなたが、もし、もっとりっぱにおなりになるためなら、わたしなんか、ひゃっぺんでもしにます。」 「あら、あなたこそそんなにおりっぱではありませんか。 あなたは、たとえば、きえることのないにじです。 かわらないわたしです。 わたしなどはそれはまことにたよりないのです。 ほんのじっぷんかじゅうごふんのいのちです。 たださんびょうのときさえあります。 ところがあなたにかがやくなないろはいつまでもかわりません。」 「いいえ、かわります。 かわります。 わたしのみのひかりなんか、もうすぐかぜにもっていかれます。 ゆきにうずまってしろくなってしまいます。 かれくさのなかでくさってしまいます。」 にじはおもわずわらいました。 「ええ、そうです。 ほんとうはどんなものでもかわらないものはないのです。 ごらんなさい。 むこうのそらはまっさおでしょう。 まるでいいくじゃくいしのようです。 けれどもまもなくおひさまがあすこをおとおりになって、やまへおはいりになりますと、あすこはつきみそうのはなびらのようになります。 それもまもなくしぼんで、やがてたそがれまえのぎんいろと、それからほしをちりばめたよるとがきます。 そのころ、わたしは、どこへいき、どこにうまれているでしょう。 また、このめのまえの、うつくしいおかやのはらも、みないちびょうずつけずられたりくずれたりしています。 けれども、もしも、まことのちからが、これらのなかにあらわれるときは、すべてのおとろえるもの、しわむもの、さだめないもの、はかないもの、みなかぎりないいのちです。 わたくしでさえ、たださんびょうひらめくときも、はんときそらにかかるときもいつもおんなじよろこびです。」 「けれども、あなたは、たかくひかりのそらにかかります。 すべてくさやはなやとりは、みなあなたをほめてうたいます。」 「それはあなたもおなじです。 すべてわたしにきて、わたしをかがやかすものは、あなたをもきらめかします。 わたしにあたえられたすべてのほめことばは、そのままあなたにおくられます。 ごらんなさい。 まことのひとみでものをみるひとは、ひとのおうのさかえのきわみをも、ののゆりのひとつにくらべようとはしませんでした。 それは、ひとのさかえをば、ひとのたくらむように、しばらくまことのちから、かぎりないいのちからはなしてみたのです。 もしそのひかりのなかでならば、ひとのおごりからあやしいくもとわきのぼる、ちりのなかのただいちまつも、かみのこのほめたもうた、せいなるゆりにおとるものではありません。」 「わたしをおしえてください。 わたしをつれていってください。 わたしはどんなことでもいたします。」 「いいえわたしはどこへもいきません。 いつでもあなたのことをかんがえています。 すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすむひとは、いつでもいっしょにいくのです。 いつまでもほろびるということはありません。 けれども、あなたは、もうわたしをみないでしょう。 おひさまがあまりとおくなりました。 もずがとびたちます。 わたしはあなたにおわかれしなければなりません。」 ていしゃじょうのほうで、するどいふえがぴーとなりました。 もずはみな、いっぺんにとびたって、きちがいになったばらばらのがくふのように、やかましくなきながら、ひがしのほうへとんでいきました。 めくらぶどうはたかくさけびました。 「にじさん。 わたしをつれていってください。 どこへもいかないでください。」 にじはかすかにわらったようでしたが、もうよほどうすくなって、はっきりわかりませんでした。 そして、いまはもう、すっかりきえました。 そらはぎんいろのひかりをまし、あまり、もずがやかましいので、ひばりもしかたなく、そのそらへのぼって、すこしばかりちょうしはずれのうたをうたいました。